40歳を過ぎた独身男のド定番が人生を豊かにする!

独身男のド定番

幸せすぎて怖い!そう感じた瞬間から幸せは壊れ始める。だから怖いんです!

      2016/11/11

幸せそうな人

みなさんは、幸せすぎて怖いって、感じたことがありますか?もし、そう感じたことがあるなら、その怖いって当たっているかもしれませんよ。これは実体験でもあるのですが、幸せすぎると感じてしまった瞬間から、幸せの崩壊が始まって、長続きはしないんです。不幸すぎる人生も嫌ですが、長続きしない幸せも嫌だと思うので、「禍福はあざなえる縄のごとし」ぐらいが、ちょうど良いのかもしれません。みなさんは、幸せすぎて怖いと思ったことがありますか?

これは我が家での話です。

これは我が家の話で、父親が亡くなって、しばらくした頃に母親が言っていたことです。

我が家では、毎朝、父が出勤するときに、必ず玄関で見送ることが決まりになっていました。

自分は、玄関までだったのですが、母は外まで出て父が見えなくなるまで、見送っていたんですが、それを近所の人たちが、いつも見ていたらしく、「キシさん家は、幸せそうでうらやましいわ。」と思っていたそうです。

その頃、自分は高校生、姉は社会人で、順調とはいかないまでも、それなりに問題なく生活をしていたから、母は、何気ない幸せだったらしいけど、幸せすぎて怖くなることがあったそうです。

それから、1年後に父の病気が分かり、さらにその1年後には亡くなってしまったので、幸せすぎて怖いと感じてから、わずか2年で、母の思う何気ない幸せは消えてしまいました。

それから母は、幸せすぎると感じてしまうと、その幸せが消えてしまうと思っているらしく、人がうらやむような幸せの芸能人のカップルを見ると、「あんな幸せが続く訳ない」とテレビに向かって言っています。

母親いわく、「幸せすぎると感じたとき、その幸せは、すでに終わってしまっているのかもしれない」それが持論だそうです。

その考え方は、悲しすぎると自分は思っていたのですが、まさか自分も同じような体験をするとは、その頃は想像できませんでした。

キシ
何気ない生活の中で感じる幸せが、誰もが望む幸せなのかもしれませんね。

これは自分の話です。

ラブラブなカップル

今年で、40歳になる自分ですが、一度だけ本気で結婚したいと思ったことがあります。

それは自分が、今よりも若い20代の後半ぐらいだったと思うのですが、今まで生きてきた人生の内で、幸せすぎると感じた数少ない時間でした。

母親のように、幸せすぎて怖いとまでは思わなかったのですが、自分がこんなに幸せで良いのだろうかとは、よく思っていました。

当時は、仕事も恋愛も順調で、なんにも怖いものはないってくらいの、気持ちだったと思いますが、そんな絶好調の時間が、長くは続かないんですよね。

自分や相手が、浮気をした訳でも何でもないのですが、ちょとしたほころびが次第に大きくなって、気が付いたときには、手遅れになっていたんです。

相手のご両親にもごあいさつへ行って、結婚のことも話していたので、とても迷惑を掛けてしまったのですが、結局はそのまま終わってしまいました。

今思い返してみると、自分が周りを全く見ていなかったのが原因で、もしほころびに気が付いていれば、別れなくても済んだのかもしれません。

でも、幸せすぎるときって、周りなんて全く見えなくて、二人の世界に入り浸ってしまうから、もし、気が付いていたとしても、こんなほころびがあっても大丈夫と思っていたでしょうね。

母親が言う「幸せすぎると感じたとき、その幸せは、すでに終わってしまっているのかもしれない」とは、予兆があるのに、幸せすぎてそれに気が付かず放置してしまい、その結果、幸せが終わってしまうことなのかもしれません。

幸せすぎると感じられることは、とても幸運なことだと思うのですが、その代償があまりに大きすぎますね。

キシ
幸せすぎる経験が、できて良かったのか悪かったのか、難しいところですね。

好事魔多し

自分は、母親のように幸せすぎると感じたときから、幸せが崩壊するとできれば思いたくはありません。

でも、実際に経験をしてしまうと、ウソでもないような気がしてくるので、自分なりに考えたのですが、それって慣用句の「好事魔多し」に似ている気がします。

「好事魔多し」とは、物事がうまく進んでいる時ほど、意外なところに落とし穴があるという事。

たぶん、幸せすぎると思うときは、周りが見えていないから、落とし穴があっても、気が付かないで落ちてしまうと思うんですよ。

例えば、父の病気に気が付かなかったのも、幸せだったので周りがよく見えていなかったから、病気のサインを見落としてしまったのだと思います。

自分にも思い当たることがあって、父がツラそうな顔をしているときがあったのに、それに気付いてあげることができなかったです。

もし、当時の自分が「好事魔多し」と言う慣用句を分かっていたなら、父の病気に気付いてあげられたのにと思うと、今でも悔しくて仕方がありません。

もし、結婚している人やカップルの人で、幸せすぎるなぁと思うことがあったら、ちょっと冷静になって周りを見回すようにしてください。

脅しではありませんが、もしかしたら、すぐ足元に大きな落とし穴が、空いているかもしれませんよ。

キシ
落とし穴には、自然にできる落とし穴と、誰かが意図的に作る落とし穴があるので、どちらとも要注意です。

画竜点睛を欠く!

神社の石段

幸せすぎると感じて、周りを見回して落とし穴がなかったから、大丈夫な訳ではありません。

突然ですが、みなさんは、石段が何段もあるような神社へ行ったことがありますか?

自分は何度かあるのですが、神社の石段は、すべてキレイに完成されていないってことを知っていますか?

すべての神社がそうなっている訳ではないと思うのですが、自分が聞いて話では、意図的に石段を完成させていないそうです。

その理由が、「物事は、完成させてしまった時点で、崩壊へ進むから、あえて完成をさせていない」と言うことらしいんです(そんなニュアンスだったと思います)。

これって、母親が言っていた「幸せすぎると感じたとき、その幸せは、すでに終わってしまっているのかもしれない」に似ていますよね。

どんなこともそうですが、完成させてしまうことは、終わりを意味するので良くないと、昔の人は思っていたのでしょうね。

あまり良い意味では使われませんが、ことわざの「画竜点睛を欠く」ぐらいが、人生も恋愛もちょうどの良いのかもしれません。

「画竜点睛を欠く」とは、物事をりっぱに完成させるための、最後の仕上げを忘れること。また、全体を引き立たせる最も肝心なところが抜けていること。

さすがに、最も肝心なところが、抜けているのはマズいですが、どこか一部分を未完成のままにしている方が、人生も恋愛も良さそうです。

では、画竜点睛を欠くことなく物事を完璧にしてしまったら、どうなるのでしょうか?

中国の南朝梁の時代、張僧ヨウという絵師が、金稜の安楽寺の壁に四匹の竜の絵を描いた。 その竜は、今にも天に昇っていきそうな勢いで、見た人々は息を飲んだが、なぜか、竜の瞳が描かれていなかった。なぜ瞳を描かないのかと、絵師に尋ねたら「瞳を入れると飛び去るからだ」と言うが、人々はそれを信じようとしなかった。そこで仕方なく、竜の瞳を描き入れてみせると、竜は雲に乗って、たちまち天に昇っていったという。

これが「画竜点睛」の言われらしいのですが、完璧に仕上げてしまい竜が飛び立ってしまったように、幸せにも同じことが言えると思います。

人生や家族や恋愛も、完璧を求めることは悪いことではないと思うのですが、ちょっと欠けているくらいがちょうど良いのではないでしょうか?

キシ
完璧なものよりも、ちょっと足りない方が、完璧になろうと努力するから、良いのかもしれませんね。

まとめ

人生の中で、幸せすぎて怖いって思ったことがある人が、どのくらいいるのか分かりませんが、もし、そう感じることがあったら、くれぐれも注意してください。

「好事魔多し」や「画竜点睛」のように、幸せ落とし穴に落ちてしまったり、天に飛び立ってしまうかもしれませんよ。

自分は、ときどき結婚している女性の友人から、旦那さんの悪口を聞かされますが、たぶんそれくらいがちょうど良い幸せなのでしょうね。

もし、自分がこれから、幸せすぎると感じてしまうことがあったら、落とし穴やほころびがないか注意深く周りを見回したり、健康診査を自分も相手もやって、病気がないか厳重にチェックをしたりすると思います。

その前に、幸せすぎない普通の幸せを、手に入れないとダメなのですが、独身の今の生活もそれなりに幸せを感じているので、彼女ができてたけで、幸せすぎると感じてしまうかもしれませんね。

もしかして、幸せすぎると思わないためには、そう簡単には実現しそうにない幸せの理想を、持った方が良いのかな?

キシ
幸せの理想は、高ければ高い方が、良いのかもしれないけど、そうなると、今度は実現しない可能性が・・・。
キシ
この記事はキシが担当しております。
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